気が向く時しか気が向かない

LDHにハマった二次元オタクのよろずジャンルブログ

一人暮らし準備をしてみての所感

実家を出て初めての一人暮らしを始める日が、刻一刻と迫っている。


mmr-ns.hatenablog.com


上の記事に書いたように、私が一人暮らしをしたい理由のひとつに、一人でも生きていける力をつけたかったというのがある。

今のところ予定は全くないのだが、もし結婚するとして、実家暮らし(食事を作ってもらう側)から夫婦二人暮らし(配偶者の分まで食事を作る側)にいきなりシフトするのは自分には無理だろうなと思った。
それなら段階的に、一人暮らし(自分の1人分の食事を作る)から夫婦二人暮らし(2人分の食事を作る)へのシフトの方がなんとかなりそうな気がする。

三代目のライブツアー開催が決まったので一人暮らしをすることにした - 気が向く時しか気が向かない


いつか誰かと暮らすかもしれない可能性がゼロではないことからの、実家を離れるという選択。
しかし、この度の一人暮らしを決めるよりもっと前にやはりそんな話をTwitterでしていた時に、一人暮らし経験のある友人にこんなことを言われた。
一人暮らしを始めるとあまりにも自由すぎて、それが楽しくて人によっては人との共同生活への抵抗が生まれる場合がある、と。

その時は、なるほどそういうこともあるか、と思った程度だったが、今の私はまだ一人暮らしを始めてもいないのに、誰かと暮らしたりせず当分は一人暮らしを続けていきたいという気持ちが強まっている。


なぜなら今私が進めている一人暮らし準備は、自分のためだけの牙城を作り上げる作業なのだ。
自分の気に入った物件を借りて、自分の選んだ家電を買って、家具を買って、私の、私による、私のための城が完成しようとしているのだ。
それがもし仮に近々結婚することにでもなったら、今回借りる一人暮らし向けの部屋とはおさらばしなくてはならないし、配偶者となる人も一人暮らしをしていて一通り家電を揃えていたら、二人の家電を丸々そのまま残すことにはならないだろう。
せっかく気に入った部屋を見つけて家電・家具を揃えたのに、それがすぐに落城だなんて嫌だ、と思っている自分がいる。


仮に結婚する時が来るとして、実家暮らしからいきなり夫婦二人暮らしは無理だろうと一人暮らしを挟んだ結果、結婚遠ざけたくなるという皮肉。
もっと早くに実家を出て一人暮らしを堪能していたらよかったのかもしれないが、今の私はこれから一人の暮らしを堪能したいところだ。
結婚なんてしている場合ではない。

どうせまだ結婚の予定はないし、結婚しないにしても生涯親の世話になれるわけではないのだから、一人暮らしの開始がもっともっと後になるよりはよかったはずだと思いたい。


そんなこんなで引っ越しの準備をしているわけだが、引っ越しで断捨離が捗るというのは本当だった。
前の家を完全に引き払う引っ越しとは異なり、全ての物を新居に持って行かず実家に置いておいてもよいので、少しの荷物は置いていくことにした。
しかし、実家に置いていくくらいなら捨ててしまっても問題ないのでは……?との考えから捨てたものも結構ある。
一人暮らしの話を具体的に決める前から、常日頃いつか来る一人暮らしの為にとわりとバカスカ物を捨てていたので、普段からの断捨離に多少拍車がかかった程度ではあるが。


それでも今回の引っ越しの段ボールがそれなりの数になったので、またすぐに引っ越すことはなくとも今度住む部屋に生涯いるわけでもないであろうことを考えると、あまり物を増やさずに生きていきたいなと思った。
むしろ今回の引っ越しの荷物はほぼ段ボールに入るものだったが、次引っ越すとなると当たり前だが家電や家具全て引っ越しの荷物となる。
今回の引っ越しで貯蓄用口座の預金を大幅に減らしたので望む望まざるに関係なくしばらく引っ越しはないだろうが、物を増やしすぎない生活を心がけていきたい。


そんな引っ越し直前の所感である。

夢を見つけたい 或いは漠然と新しいことをしたい

昨年6月、三代目 J Soul Brothers(以下、三代目)の長編ドキュメンタリー映画『SEVEN/7』のプレミアム先行上映を観に行った。

この上映は三代目のニューアルバム『FUTURE』の発売前に、アルバムに収録されるドキュメンタリー映画を7日間限定で映画館で上映するというものだった。



youtu.be


アルバム収録されるドキュメンタリーを発売に先駆けて劇場で観られるということは、見方を変えると、劇場公開からわずか1週間程でその映画の円盤が発売するということだ。
繰り返し観るほどハマった映画の上映が終わってしまってから円盤発売を待つ苦しみを味わったことがある者からすると、これは凄いことだ。

1週間もすればアルバムが発売して繰り返し観られるのになぜわざわざ劇場に?と思う人もいるかもしれない。
一刻も早く観たいから、というのも先行上映を観に行った理由のひとつではあったが、推しを大画面で観られる機会はなかなかないから、というのも大きな理由だった。
アルバム発売後に個人的に鑑賞会をすればカラオケのシアタールーム等の大きな画面で観ることは出来るが、映画館のスクリーンのサイズには到底敵わない。
大画面で推しを観られるめったにない機会を、やはり逃すわけにはいかなかった。


そうして観てきた『SEVEN/7』の先行上映は、とてもよかった。
観賞後の私の中に大きく残った感想は、夢があるっていいな、というものだった。


twitter.com


いちいちツイートを貼ると読みづらいので、観賞後の自分の一連のツイートを以下に引用する。

『SEVEN/7』の先行上映を観てきた。
メンバーの色んな姿を映像で観られるのをファンとして楽しんだ部分はもちろんあるんだけど、それとは別に、なんかすごく純粋に、夢が欲しい、夢を持ちたい……って思ってしまった。叶えたい夢、を見つけたい、って。言葉にすると臭いけど、わりと真面目に。


これといった夢を持ってないんだよね。
夢があったけど叶えず諦めたとかじゃなく、そもそも夢らしい夢を抱いてた記憶があまりない。
年齢とか有名人であるないとかは関係なく、持ってていいもんだとは思うんだよね、夢。
無理に作るもんではないけど、見つけたい、出会いたいな。叶える以前の話で。


仕事でも趣味でもいいと思う。
夢叶えたとか夢に向かってるっていうのが思い浮かぶ身近な例だと、先生目指して教育学部入って実際今教壇に立ってる人とか、一眼レフ買って毎週のように趣味の撮影予定入れてる人とか、3Dモデルに興味持って仕事にしたいと思ってその勉強の為に仕事を辞めた人とか。


夢を抱くのはゴールではなくあくまでスタートだから、夢を見つけるのを目的にしてしまうとあれだけど。そんな仰々しい大それたもんじゃなくていいから、小さくてもいいから、何かしら見つけたいなって。思ってしまったんだよなあ……。人生、一度きり。

https://twitter.com/mimori_jsb/status/1003240095472730113?s=19


夢、夢、連呼しているが、自分はLDHEXILEや三代目の事務所)にハマってから、ハマる前と比べて夢という言葉への抵抗がなくなったなと思う。
抵抗、というと大袈裟だが、愛だの夢だのを語るというのはくさい、なんだか恥ずかしい、みたいな感覚がなかったと言えば嘘になると思う。
そんな感覚が、LDHのお陰で吹き飛んだ。

だって、LDHが私たちに見せてくれるラブ、ドリーム、ハピネスが、あまりにも真っ直ぐだから。
ラブ、ドリーム、ハピネスの頭文字を取って社名にするだなんて、LDHに詳しくない人からしたらくさくて仕方ないかもしれないが、ファンになってしまった今では、これほどまでにこの会社を表す社名はないと言い切れる。

世の中にはEXILEや三代目に村でも燃やされたのかというようなLDHアンチもいるらしいことは察しているし、そういった人から見たら、ハイハイ信者乙、ラブドリームハピネスwwという感じかもしれない。
しかし実際にLDHのライブを体験して、溢れんばかりのラブ、ドリーム、ハピネスを浴びてしまうと、それらをくさいだなんて言う方が恥ずかしくなる。


そんなLDHに十分ハマっていたところで観た『SEVEN/7』は、私をより一層、夢へと焦がれさせた。

先行上映およびアルバム発売からだいぶ日が経っていてだいぶ忘れてきている部分もあったので、少し前に円盤を引っ張り出してきて、久しぶりに鑑賞してみた。
観ながら、ああ、こういったところに私は夢への憧れを強めたんだろうな、というメンバーの台詞がいくつもあったので、引用させてもらう。

単純に人生1回きりだと思って生きてるから
やりきりたいってそれだけなんすよね
自分が感じた衝動を全身で表現していくっていうのがやりたいことなので
(岩田剛典)

みんなこう自分の人生を全うする為に生きてるじゃないですか
だからみんながそれぞれのそれぞれの線でバーッと走ってて
それがたまたまこうクロスした時に
誰かと出会ってるっていう
それでまたちょっとずつ
角度が変わってったりするかもしれないし
小林直己

自分の理想があって
それを実現したくて
挑戦しようとか勇気を出したいっていう思いが生まれて
なんかその原点は「僕は今何がしたいんだろう」
小林直己

もっともっとパワーアップした自分たちを見てもらいたい
そのためにみんな
そのためっていうかもう
究極言うと自分のためですよ
自分の人生をどうやって生きていきたいか
どういう風に生きていることが自分にとって
納得がいくかみたいなとこ
(NAOTO)


他にも心に残る言葉は山程あるドキュメンタリーなのだが、私が夢への憧れを刺激されたという点で抜粋するとこのあたりかなと思った。
引用した部分はどれも「夢」という言葉が使われているわけではないのだが、それぞれの言葉の背景だったりその先に夢というものがあるように感じた。


『SEVEN/7』を観て衝撃を受けたものの、半年以上経った今現在、叶えたい夢が具体的に見つかってはいない。
しかし夢は無理に作るものでもないと思うから焦ってはいないし、無理に作ろうとするのではなく、見つかったらいいなくらいの気持ちで、とりあえず新しいことをするのを躊躇わないようにしたいという思いが漠然とずっとある。


それに、LDHにハマったこと自体がすでに私にとっては大きな変化になっているのも事実だ。

Twitterが生息地だった二次元オタクがInstagramのアカウントを作ってそのTLを追うようになったのも、テレビを全然観なかった私がMステを観るようになったのも、ラジオを全然聴かなかった私がANNを聴くようになったのも、自分には縁がないと思っていたシャレオツシティ中目黒に年に何回も足を運ぶようになったのも、全てLDHがきっかけだ。
いずれしよういずれしようと思いつつ腰をあげずにいた一人暮らしに踏み切るきっかけも三代目のツアーだったし、今度のツアーの京セラのチケットが取れたのでとりあえず初めてのライブ遠征が決まった。
2年前の私は、2年後の自分がこんなことになるだなんて夢にも思っていなかっただろう。

具体的な夢は見つかっていなくとも、新しいことへの挑戦のきっかけをLDHにはたくさんもらっていたんだなと思う。


ライブの終盤に「みなさんの夢が叶いますように!」というボーカルの掛け声と共に銀テープが噴出されたりなんてこともあるLDH
夢を持っていない人がLDHのライブに行っちゃいけないなんてことはもちろんないが、夢を持っていた方が、「みなさんの夢が叶いますように!」と言ってもらえた時に少しお得というか、その言葉を自分に向けられたものとしてより楽しめるような気がする。

LDHは所属アーティスト自身がめちゃくちゃ夢に向かって突き進んでいる人たちばかりだし、ファンの夢もめちゃくちゃ応援してくれる。
もちろん夢をもたないファンのことをないがしろにしているわけではないが、小さなことでも何か夢を見つけられたら、それぞれの夢を叶えたいという気持ちを推しと共有出来るような、そんな気もする。
夢を持つものとして、推しと同じフィールドに立ってみたい。

だから、夢を見つけたい。
その為に、臆することなく新しいことをしたい。

オタクというのは現在ハマっているジャンルに忙しいと他に気を回す余裕がなくなり保守的になりがちな生き物だし、LDHは本当に供給過多過ぎてそれだけでも追いきれないところはある。
しかし今後も新しいことに出会う機会がある時には、無理のない範囲で視野を広げて過ごしていけたらいいなと思う。

こんなにLDHにズブズブにハマる未来を予想だにしていなかったように、1年後2年後に今は想像もしないものにハマっていたり、夢を追いかけていたりするかもしれないから。

漫画家による画像4枚ツイート連投PRを漫画好きとして擁護したい

少し前から、漫画の単行本発売時のPRとして、作者自身のTwitterで画像4枚ツイートをリプライで連ねる形で漫画の丸々1話分を載せるというプロモーションを見かけるようになった。

そのツイートの本文には、作品のタイトルとは異なる「○○が××する話」といった文が添えられることも少なくない。
それに対して、素人ではない漫画家が商業作品を宣伝する為に、あたかも素人が趣味で描いた漫画をTwitterに載せているのを装うような行為だと捉える人もいるのだということを最近知った。


実は私も、この画像4枚ツイート連投プロモーションには少々思うところがあったのだが、上に取り上げた意見とは全く異なるポイントを見ていたので、そのような意見があることには驚いた。

私がこのプロモーションに対して思っていたことについて、そのうちブログ記事にしようかなと思っていた為に下書きフォルダにメモしていたものが、以下のスクショだ。


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タイトルはとりあえずメモ代わりに仮につけたものというか、タイトル自体が言いたいことそのものだ。
私はああいったプロモーションツイートについて、素人による投稿を装うものだとは全然考えていなかった。
本来金を払うべき作品を、金を払わないと読めない作品を、こうやってSNS上で無料公開してくれるだなんて、むしろ太っ腹だと思っていた。

ただ、ツイートしてくれることはありがたいことなのだが、このプロモーションの読みづらさだけが難点だなと思っていた。


この形態の漫画を読む時、リプ欄に連なるツイートをいちいちタップすることを、4ページごとに行わなくてはいけない。
電子書籍のサイトで単行本を読むようにスムーズにはいかず、ツイートツイートごとに話への集中が途切れてしまう。
また、例えば4ページ目から3ページ目に遡ることは同一ツイート内の画像となるので簡単だが、5ページ目から4ページ目に遡りたいとなると、異なるツイートを跨いでいる為、やはり操作が面倒になる。


SNS上で丸々1話を無料公開という行為はとても太っ腹だとは思うのだが、漫画の読みやすさを考えると、ツイート画像として添付するのは最初の4ページだけにして、続きはWebで!と第1話試し読みページのURLを貼ってくれていいのになと思ってしまう。
しかしそう思うタイプの漫画好きは、世間一般から見たら少数派なのかなという気はする。

きっと、リンク先の試し読みURLには死んでも飛ばないが、ツイート画像ならいくらでも見られる、Twitter上では生きていられるが外部リンクを踏むと死ぬ、みたいな層がいるのだろう。
実際私もTLに流れてくる試し読みURLをことごとく読んでいるかと言うとそんなことは全然ないし、4枚画像プロモーション漫画をついつい読んでしまっているからこそ、リプライツリーを辿るのが面倒!という意見を抱くに至ったのだ。
より読まれる手法として、このプロモーションは生まれたはずだ。


私はTwitterでバズったツイートにツイート主自身が「バズったら宣伝していいらしいので……」「バズったら宣伝するルールらしいので……」などと言いながら、バズったツイートと何ら関係ない宣伝をぶら下げる行為があまり好きではない。
「バズったついでに見てくれ!」と自己顕示欲バリバリならむしろ潔いなと思うのだが、「宣伝していいらしい」「宣伝するルールらしい」などという文言を盾にしているツイートはどうにもむず痒くて仕方ない。
そんなルール、私は聞いたことがない。
せめて「そういう風潮がある」くらいではないのか、と思ってしまう。
実際、そういう風潮があるのは事実だ。

バズったツイートへのそのようなリプライはむず痒いのだが、先の漫画プロモーションの終わりに来る単行本の宣伝にはそういったむず痒さはまったく覚えない。

漫画好きからしてみれは、第1話を読ませてもらって「いや~面白い!これは好きなやつだ!買いだ!!」と思った時に欲しいのは、その単行本の情報だ。
商業漫画の第1話を載せるだけ載せておいて、読み終えた後に何の情報もないようでは、むしろ怒りたくなりさえする。
素人による漫画の場合、「面白い話だ!もっと読みたい!」と思ってもその続きがない場合も多いだろうが、単行本が発売される商業作品の第1話であれば、その続きが存在しているのだ。
夢のような話ではないか。


そもそも一連のツイートの後の宣伝に腹を立てている人というのは、本当にその商業作品を素人による漫画だと思って読んでいたのだろうか?
宣伝でない風を装って宣伝しているのが気にくわないような意見があるのはわからなくもないが、読み終えた時に広告が来ることが予想外なほどに、その商業作品は素人による漫画のように見えたのだろうか。

確かに最近は素人がSNSに載せていた漫画が商業連載化したり単行本になったりというケースが非常に多くなっている為、その境目は難しいかと思う。
しかしそうであっても、素人による作品について「え、宣伝とかない……ってことは素人の作品……!?(商業作品かと思った)」となるのはまだしも、商業作品に対して「え、宣伝!?商業作品かよ~(素人作品かと思った)」となるのは、あまりにも商業漫画家を舐めてはいないか。


漫画を読み終えた後に来る宣伝に腹を立てるような人は、読み終えてみてそれが何の宣伝もない素人による漫画だった、ということであれば怒らないということなのか?
商業作品であっても、第1話を丸々載せた後に宣伝のツイートがなければ、その人は怒らないのか?
なんだかおかしな話な気がする。

素人による作品だろうとプロの漫画家による商業作品だろうと、その人が最後まで読み切ったのはその作品を自分が最後まで読みたいと思ったからではないのか。
最後まで読まずに途中で投げ出すことだって選択出来たはずだ。
また、最後まで読んだ上で作品の内容について面白いつまらないと論じる権利なら読者にあると思う。
しかし読み終えたところで、なんだ宣伝かよ!と腹を立てるのはいかがなものかと思ってしまうのだ。
そうだ、宣伝だよ。作者はそれで飯を食っているのだから。


漫画画像連投ツイート後の宣伝が嫌で、その類いの漫画を読みたくなくなっているというような意見も目にしたが、そういう人は読んだところで宣伝を受けて購買に至るわけではない層だと思うので、宣伝する側にとってはそのような人に読まれなくなることはさしてマイナスではないと思う。

それよりも、第1話を読み終えて作品情報を知りたいと思う購買層に繋がる漫画好きの為に、単行本の宣伝は是非控えずに続けてほしいと思う。


また、作品タイトルを記載せずに「○○が××する話」などとだけ載せることが素人による作品を装っているようだとの批判に関しては、キャッチコピーのようなものと考えれば許容範囲ではないかと思う。

昨今、小説投稿サイトの投稿作品やライトノベルのタイトルに「○○な俺が△△で××する話」といったものが増えているらしいが、作品の数が膨大な為にそのような内容のわかりやすいタイトルにしないと読んでもらえないからだと聞いたことがある。
例えば週刊少年ジャンプの目次が「特殊能力を持たない落ちこぼれの僕がヒーローになるまでの話」「平和な孤児院だと思っていたらとんでもない場所だったので私たちは逃げ出すことにした」みたいなタイトルばかり並んでいたらそれはどうかと思うが、作品の説明と考えれば、本来のタイトルを載せただけでは読まなかったかもしれない人が読んでくれることに繋がるケースもあるだろう。


この画像4枚ツイート連投によるプロモーションに関する意見を述べたツイートがトゥギャッターにまとめられているらしいことをタイムラインに流れてきたツイートで知ったが、今のところそのまとめを読んではいない。

以下の記事で以前述べたように、「自分の感想がまとまらないうちに他の人の書き込んだ感想を見て、それに同意して、それが自分の感想のように思い込んで」しまうことを防ぎたかったからだ。
「人のコメントを読んでインプットという行為をしている気になって、自分の感想を発信するというアウトプットという行為を、気づかないうちに放棄」してしまわないよう、トゥギャッターのまとめを読まずにこの記事を書いた。


mmr-ns.hatenablog.com


そのまとめを未読の為、世間の声の大小を把握出来ていないまま書いた記事となってしまっているがご容赦頂きたい。


なんにせよ、漫画家はそれが商業作品であるなら臆せずに宣伝してほしい。
その宣伝に嫌悪を示す層もいるのは事実だろうが、その一方で、まだ知らない面白い漫画に出会えるチャンスが増えることを喜ぶ漫画好きが絶対にたくさんいるはずだ。
と、一人の漫画好きがここに思う。

ホットペッパーを入手する為だけに東京から千葉まで行った女

昨年7月、都内在住・都内勤務の私が仕事帰りに、ホットペッパーの入手のみを目的に千葉県の某駅まで赴いた。

東京から千葉、と聞いても隣接県だしそんなにインパクトは無いかもしれないが、目的がホットペッパーの入手ただそれだけと考えれば、私の推し関連の奇行のひとつに数えてよいだろうと思う。
そう、毎度のことながら、推し関連の奇行エピソードなのだ。


わざわざ千葉まで行ってホットペッパーを入手したかった理由は他でもない、推しがホットペッパーの表紙を飾ったのだ。
ホットペッパーなんてどこでも手に入るだろうと思われるだろうが、この時ばかりは訳が違った。


magazine.hotpepper.jp


なんとエリアごとに異なるEXILEメンバーがホットペッパーの表紙を飾るというのだ。
約2年の休止を経ての活動再開を迎えて2018年をEXILE YEARと銘打っていただけのことはある。

私の推し・EXILE小林直己が表紙を飾るのは「HOT PEPPER 千葉版」「HOT PEPPER 船橋版」「HOT PEPPER 柏版」の3つのエリアのものだという。
千葉県出身の直己に千葉エリアの表紙を任せるという粋な心意気。
EXILEのメンバー15人の出身地でホットペッパーの全てのエリアをカバーすることは出来ないものの、他の地域についてもメンバーの出身地をかなり意識していることのわかる采配となっていた。


私がもしTAKAHIRO推しだったとしたら仙台版・岐阜版・長崎版、AKIRA推しだったとしたら金沢版・静岡版・浜松版を入手したいところだったので、ちょっと仕事帰りに、なんてことは出来なかった。
実際に、メルカリでこの号のホットペッパーが出品されているのを見かけたり、Twitter上で交換募集をかけているツイート(自分の住む地域のメンバーのものを譲渡に出して、他エリアの推しのものと交換してもらう)を見かけたりした。
全国レベルのご当地限定表紙となると、今の時代には自然な流れとも言える。


でも、千葉県。
私、東京。直己、千葉。

千葉なら……行けるな?


幸い、職場も住まいも東京の中で言えば東寄りの私。
推しの単独表紙の為なら仕事帰りに千葉に寄るくらいなんてことはなかった。


twitter.com


3種コンプリートを目指すとさすがに千葉の東の方まで行かなくてはならず諦めたが、それでも2駅で2つのエリアの分はもらってきた。
同じ写真じゃないか、同じなんだし1つでいいだろ、と思われるかもしれないが、同じではあってもサイズが違うし、欲しいものは欲しいのだ。
オタクとは、ファンとは、そういうものだ。


昨年の夏にそんな奇行に及んでいた東京生まれ東京育ちの私だが、今月中には千葉県の住民票を得る予定だ。
実は今準備を進めている一人暮らしの部屋の住所が千葉県なのだ。

決して推しの出身地だからという理由で選んだでわけではない。
部屋の希望条件と払える家賃を擦り合わせていった結果、千葉の物件にたどり着いたのだ。

千葉が推しの出身地であることが決め手では決してないが、推しの出身地に住めることは地味にとても嬉しい。
推しが三次元って、やっぱり凄いなと思う。
ウォーターセブンには住めないけれど、千葉県には住むことが出来るのだ。

今後またエリア別EXILE表紙が来ても今度は自宅最寄り駅で入手が可能となるはずなので、今後も直己にはEXILEの千葉担当であってほしいと願う。

映画のチケット半券を捨てる

映画を観終わった後のチケットの半券をどうするか、という問題がある。
商業施設の半券割引サービスを利用する、とかいう話ではなくて、そのさらに後の話だ。

私は映画に限らずチケットの半券をわりと取っておいてしまう方だ。
しかし映画のチケットというのは劇場によって仕様が異なるし、レシートのような感熱紙タイプのものは時間が経つと字が薄くなってしまうし、あまり保管には向いていないとも思っている。

それでもなんとなく、この映画を観たなという記録として残していたのだが、記録というなら別にチケットの半券そのものを取っておかなくてもいいのではという気がしてきた。
近々引っ越しを控えており断捨離熱が上がっていることもあり、記録だけ残して処分してしまうことにした。


そんなわけで、今手元にチケットの半券がある鑑賞作品をひたすらに書いていく。
今回は劇場発行のチケット半券の処分が目的なので、とりあえず劇場発行のチケットのものを対象とし、ローチケで発券した舞台挨拶付上映チケットなどは除くので、必ずしもこれまで観てきた映画全てとは限らない。
また、劇場発行のチケットもレシート感覚で捨ててしまったものもあり全てが揃っているわけではないと思うが、ある分だけひたすら挙げていく。
順番は鑑賞日時の古い順とする為、作品の公開日時の順とは必ずしも一致しない。


そしてわりと取っておいてしまう方などと言ったが、確認してみたら2017年8月より前のものは残していなかった。
昔の私もやはり保管には向かないと考えていたのだろう。

過去の手帳を漁れば、もう少し詳細な「私がこれまでに観た映画リスト」を作れるかとは思うが、今回の目的はあくまで半券の処分なのでそこまではしない。


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◇家族と観た作品
○友達と観た作品
●一人で観た作品

2017年

●8/1 心が叫びたがってるんだ。(実写)
○8/6 銀魂(実写)
○●8/9、8/19、8/20、8/24、8/26、8/30、9/12、9/16、9/19、10/13 HiGH&LOW THE MOVIE2
●10/27 KING OF PRISM -PRIDE the HERO-
○●10/31、11/2、12/24 HiGH&LOW THE MOVIE3

2018年

●1/13 バーフバリ 王の凱旋
●1/21 嘘を愛する女
●1/31 シネマファイターズ
●5/23 名探偵コナン ゼロの執行人
●6/9 ピーターラビット
●6/13 パンとバスと2度目のハツコイ
●7/1 ウタモノガタリ
●8/5 僕のヒーローアカデミア
◇8/15 インクレディブル・ファミリー
○8/26、9/1 HiGH&LOW THE MOVIE 4DX2D
●9/29 DTC 湯けむり純情篇
●10/8 若おかみは小学生!
●10/31 HUGっと!プリキュアふたりはプリキュア オールスターズメモリー
●12/9 jam
●12/23 少年ハリウッド

2019年

◇1/6 グリンチ



2017年の日付が少々おかしなことになっているが、オタクにはよくあることだ。
いつかチケットが残っていない鑑賞作品のことも振り返れたらいいなと思う。
とりあえずひとつ断捨離が捗って嬉しい。